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横浜地方裁判所 平成3年(ワ)812号 判決 1997年3月31日

主文

一  被告は、原告甲野一郎に対し金六六〇四万四四三〇円、原告甲野太郎に対し金三〇〇万円、原告甲野花子に対し金一八〇万円及び右各金員に対する昭和六二年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、一項に限り仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告甲野一郎に対し、八〇〇〇万円、原告甲野太郎及び原告甲野花子に対しそれぞれ五〇〇万円並びに右各金員に対する昭和六二年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、神奈川県立高校の体操部員であった原告甲野一郎が、部活動の練習中、跳馬の演技である前転とび前方抱込み宙返り(以下これを「本件技」という。)を試みたところ、回転の途中で後頭部から落下し、頚髄損傷等の傷害を負った(以下この事故を「本件事故」という。)という事案において、原告甲野一郎とその父母である原告甲野太郎及び同甲野花子が、在学契約の付随義務としての安全配慮義務違反あるいは指導担当教諭及び学校長の過失を理由に、被告に対して損害賠償を求めたものである。

二  争いのない事実

1 当事者

原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、本件事故が発生した昭和六二年一一月一五日当時、神奈川県立荏田高等学校(以下「荏田高校」という。)の一学年に在籍する一六歳の男子であった。

原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)、同甲野花子(以下「原告花子」という。)は、原告一郎の父母である。

被告は、荏田高校を設置し、管理している地方公共団体である。本件事故発生当時、荏田高校の体操部顧問は戊田梅夫教諭(以下「戊田教諭」という。)であった。

2 本件事故に至る経緯

(一) 原告一郎は、中学時代から体操部に所属していたが、荏田高校入学後、体操部に入部した。本件事故当時、荏田高校体操部には、男女の部員が所属し、うち男子部員は、一年生が四名、二年生が一名、三年生が三名の合計八名であった。

(二) 原告一郎は、昭和六二年八月に筑波大学で行われた夏合宿で初めて本件技の練習をし、同年一〇月に行われた横浜地区高校学年別体操競技選手権大会(いわゆる新人戦)で本件技を試みた。本件技は、別紙(1)のように、跳馬手前で跳躍し、跳馬の上で倒立した状態から跳馬を両手で突き放し、空中で体を抱え込み、一回転半してから着地するというもので、高等学校の競技規則においてC難度とされている。

(三) 本件事故当日の昭和六二年一一月一五日は日曜日であったが、午前中から荏田高校体育館で体操部の練習が行われ、男子は、原告一郎を含む一年生の体操部員四名のほか、学外練習生として神奈川県立川和高校(以下「川和高校」という。)の三年生一名がこれに参加した。

原告一郎らは、準備運動、マット運動をした後、午前一〇時過ぎころから、跳馬の練習を始めた。右練習は、跳馬の手前に踏切板を設置し、着地側に体操用マットを敷き、その上にエバーマット(ウレタンマット)を重ねて敷き、前方の壁にもエバーマットを立て掛けた状態で、体操部顧問の戊田教諭の立会いのもとで行われた。

原告一郎は他の部員らとともに基本技の練習を行った後、本件技の練習に入ったが、途中、戊田教諭は、原告一郎の傍らを離れた。原告一郎は、その直後に本件技を行った際、回転の途中で頭部から落下し、後頭部をマット上に激突させて、頚髄損傷の傷害を負った。

三  争点

本件の争点は、本件事故の発生につき監督義務者である戊田教諭又は荏田高校校長に安全配慮義務違反又は過失があったかどうか、原告らの損害の有無及び程度である。

これらについての当事者双方の主張は以下のとおりである。

(原告らの主張)

1 戊田教諭の安全配慮義務違反ないし過失

(一) 指導計画の欠如

体操競技は、段階的に練習を積み高度な技を習得する必要のある種目であり、指導担当教諭には、生徒の技能、経験を考慮し、確立された練習手順、段階を踏まえた指導計画を立てる義務がある。しかしながら、荏田高校体操部では、全体的な練習計画は三年生の部員が中心となって作成し、個々の練習内容も、部員の自主的な判断に委ねられ、体操部顧問で指導担当教諭に当たる戊田教諭はこれらにほとんど関与していなかった。

(二) 技術面、安全面の指導の欠如

また、顧問教諭には、常に部の活動全体を掌握して指導監督に当たり、部員の安全面の指導を行う義務があり、殊に生徒が危険性を伴う高度な技を練習する場合には、技の難易度、危険性、生徒の経験、技能を十分に考慮し、事前に危険防止のための適切な指導をすべき義務がある。しかるに、戊田教諭は、普段、部員に対し、事故や怪我を防止するための特段の注意を与えず、補助の方法等に関する指導も行っていなかった。

原告一郎は、中学生のときから体操部に所属し、床運動、鉄棒等の競技で優秀な成績を収めていたが、跳馬競技に本格的に取り組んだのは高校入学後であり、本件技も、入学後わずか四か月目の合宿(昭和六二年八月)で、これを初めて試みたもので、右合宿の際の二回の練習及びその後の練習の際も、腰や背中から落ちるなど、着地の体勢が不十分であった。そのため、原告一郎は本件技を行うことに恐怖感を抱いており、昭和六二年一〇月の横浜地区高校学年別体操競技選手権大会の直前には、戊田教諭に対し、着地の際、背中から落ちることが多いのでどうしたらよいか助言を求めるなどしていた。

ところで、本件技は、跳馬を離手し着地するまでの間に一回転半するため、半回転しかしない通常の前転とびに比し、離手後、十分な跳躍の高さと前方回転の勢いが必要とされ、この高さと勢いがない場合、回転力が不足するため、途中で落下する危険性が高くなる。そして、このような高い跳躍と前方回転の勢いを得るためには、助走と踏切によって得た前方への勢いを、跳馬に鋭角に着手することにより腕と肩で受けとめ、腕と肩を支軸にして足を上方に振り上げ、体を反らせて反動をつけるとともに、手を強く突き放すことが必要となる。ところが、原告一郎は、跳馬に真上から着手しており、鋭角に着手していなかったこと、腕、肩の筋力が不足していたことから、助走と踏切によって得た前方への勢いを跳馬に着手した腕で支えきれず、肩が前に流れ、十分な跳躍の高さが得られないまま回転に入り、着地の体勢がとれない状態にあった。それでも、原告一郎は、回転の感覚に優れていたため、何とか一回転半の回転はこなしていたものの、一度タイミングを誤れば、回転の途中で頭部から落下する危険があった。

戊田教諭は、体操部の顧問として、部員を指導、監督すべき立場にあったのであるから、このように、原告一郎が本件技に十分習熟していないことを認識し得たもので、回転の途中で頭から落下する危険性があることも予測し得たというべきである。したがって、戊田教諭には、原告一郎に対し前記のような演技の欠点を指摘し、安全面の指導を十分に行うとともに、本件技の全過程を練習する前に、前転とび、台上からの前方宙返り、膝を曲げた状態での前転とび、前転とびを抱込みの体勢で行いマット上で前転する、といった段階的な練習を行うよう指示し、また、腕、肩の筋力不足を補うための筋力トレーニングを行わせる義務があった。

しかるに、戊田教諭は、本件技の練習を専ら原告一郎の自主性に委ね、若干の技術的な助言を与えたのみで、安全面につき特段の指導は行っておらず、腕、肩の筋力トレーニングを行うよう指示もしていなかった。

また、原告一郎は、本件事故直前に、数回、本件技を練習したが、回転のしすぎや、回転不足のため、着地の際、前のめりとなり、膝で唇を打ちそうになったり、尻餅をつくような状態であった。そこで、戊田教諭は、早期に体を開かせて着地の体勢をとらせる趣旨で、「無理に回ろうとしないで背中から落ちるようにしろ。」と指示し、原告一郎の傍らを離れた。その直後、原告一郎は戊田教諭の右指示のとおり背中から落ちようとして、回転の途中で意識的に体を開いたため、頭部から落下し、本件事故に至った。被告は、戊田教諭が原告一郎に対し、「背中から落ちるようにしろ。」との指導をしたことはない旨主張するが、原告一郎は、これまでの本件技の練習中、回転の途中で体が開くようなことは一度もなかったのであるから、戊田教諭の右のような指導がなかったとすれば、原告一郎が回転の途中でそのような体勢をとるはずがない。

戊田教諭の右指導は、本件技に十分習熟していない原告一郎に対するものとしては不適切であり、また、戊田教諭が普段から本件技の習熟度に応じた練習方法や安全面の指導を行っていなかったため、原告一郎は、その意味を十分理解し得ず、戊田教諭の言葉どおり背中から落ちようと意識した結果、本件事故が生じたものである。

以上のことから、戊田教諭には、原告一郎の本件技の習熟度に応じた適切な指導をすべき義務を怠った過失がある。

(三) 立会い義務違反

指導担当教諭は、生徒が練習する技が難度が高く、危険を伴うものであるほど、その練習を単に生徒の自主性に委ねるのではなく、これに立ち会い、適切な安全指導を行って、事故防止に努めるべき義務があり、自ら練習に立ち会えない場合には、他に適当な指導者の立会いを依頼するなどの措置を講ずるべきである。しかるに、戊田教諭は、練習に立ち会うことはまれであり、また、自ら立ち会えない場合に、代わりの指導者の立会いを依頼したり、生徒に対し不在中の安全指導を行うなどの措置も講じていなかった。また、本件事故の際も、適切な安全指導をすることなく、原告一郎の傍らを離れ、右の立会い義務を怠った。

(四) 物的・人的設備の不備

本件技のような高度の危険を伴う技の練習を行う場合、指導担当教諭は、着地面にピットと呼ばれるスポンジ製の練習用具を備え、補助者を付すなど、落下の際の重大事故を防止するための措置を講ずるべき義務がある。そして、本件事故の際、戊田教諭が自ら原告一郎の補助に当たるか、適切な補助者を付していれば、回転を助けるなどして、本件事故の発生を未然に防ぐことができた。

被告は、原告一郎が補助者を要しない段階に達していたと主張するが、原告一郎は、着地が不十分であることが多く、本件技に対し恐怖感を抱いていたのであるから、これに十分習熟していたとはいえない。また、本件技のように高度の危険性を伴う技の練習の際には、指導担当教諭には、生徒の習熟度いかんにかかわらず、補助者を付すべき義務があるというべきである。

よって、戊田教諭には、このような人的、物的措置を怠った過失がある。

2 荏田高校長の安全配慮義務違反ないし過失

荏田高校長は、本件事故当時、戊田教諭を監督すべき立場にあり、事故防止のため、物的・人的設備を備えるべき義務があったにもかかわらず、これを怠った。

3 被告の責任

(一) 原告一郎と被告の間には、原告一郎が教育基本法又は学校教育法に従った教育を受けることを目的とする在学契約が、原告太郎及び同花子と被告との間には、原告一郎に対して右のような教育を受けさせることを目的とする在学契約が、それぞれ締結されていた。したがって、被告は、右在学契約に付随する義務として、原告らに対し、原告一郎の生命・身体に危険が生じないように注意すべき安全配慮義務を負っていた。そして、被告は、被告の履行補助者である戊田教諭ないし荏田高校長が前述のような注意義務に違反したことにより、右安全配慮義務違反の責任を負うというべきである。

(二) 戊田教諭及び荏田高校長は、公権力の行使に当たる被告の公務員であるが、その職務を行うにつき前記のような義務に違反した過失があったから、被告は、原告らに対し、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償責任を負う。

4 原告らの損害

(一) 原告一郎の損害

(1) 逸失利益 八二七一万一八七六円

本件事故後、原告一郎には、完全四肢麻痺、直腸膀胱障害等の後遺症が残り、将来にわたり完全看護を要し、労働能力のすべてを喪失した。原告一郎は、本件事故当時一六歳で、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であったから、平成元年以降の各年の賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計、年齢計の男子労働者の年収(ただし、平成六年以降については、同年の賃金センサスによる。)からライプニッツ方式により中間利息を控除すると、その逸失利益は、八二七一万一八七六円となる。

(2) 付添看護費用 一億一四〇六万七一九四円

原告一郎の後遺障害は前記のとおりであって、生涯にわたり完全看護を必要とし、看護に当たる家族は、職業付添人と同等の労力を要する。したがって、原告一郎の一日当たりの付添看護費用は、神奈川県の職業付添家政婦の協定料金(四時間分の時間外手当を含む。)により算定すべきである。

本件事故時である昭和六二年一一月一五日から原告一郎の二五歳の誕生日である平成八年九月三日までの期間から付添看護を要しない入院期間一四四一日を除く期間につき、各年度の協定料金(九一〇〇円から一万三九〇〇円まで)により付添看護費用を算定すると、その金額は、二〇二四万〇九三〇円となる。

また、平成八年九月四日以降の将来の付添看護費用は、平成六年簡易生命表による満二五歳の男子の平均余命五二・五五年につきこれを要するものとし、この間の付添看護費用(平成八年度の協定料金に従い一日当たり一万三九〇〇円とする。)から中間利息をライプニッツ方式(係数一八・四九三四)により控除すると、その金額は、九三八二万六二六四円となる。

以上により、原告一郎の付添看護費用は、計一億一四〇六万七一九四円となる。

(3) 療養雑費 一一九五万九三〇九円

原告一郎は、本件事故による受傷及び後遺障害のために、入院期間中はもとより、退院後も終生にわたり、日常生活において紙おむつなどの消耗品や雑貨品を購入するため、少なくとも一日一二〇〇円の療養雑費を要する。そうすると、本件事故時である昭和六二年一一月一五日から原告一郎が二五歳になった平成八年九月三日までの療養雑費は、三八五万九二〇〇円となる。また、同年九月四日以降の将来の療養雑費については、平成六年簡易生命表による二五歳の男子の平均余命五二・五五年につきこれを要するものとし、ライプニッツ方式(係数一八・四九三四)により中間利息を控除すると、その金額は八一〇万〇一〇九円となる。

以上により、原告一郎の療養雑費は、計一一九五万九三〇九円となる。

(4) 治療費 一一八万三三五六円

原告一郎は、昭和大学藤が丘病院及び神奈川リハビリテーション病院に対する治療費として、右金額を負担した。

(5) 器具等購入費 八八万九〇八五円

原告一郎は、日常生活、療養のため必要な車いす、電動ベット等の器具の購入費として、右金額を支出した。

(6) 慰謝料 三二〇〇万円

原告一郎は、前記傷害のため、本件事故時である昭和六二年一一月一五日から平成二年一〇月までの間、計四六九日間の入通院(うち入院四二五日)を要し、その後も、平成三年四月から平成八年八月までの間、褥瘡(床ずれ)の治療のため、計一一九七日間の入通院(うち入院一一二二日)を要した。このような傷害慰謝料として七〇〇万円が相当である。また、原告一郎は、本件事故により貴重な青春時代を一瞬にして失ったばかりか、生涯にわたり介護を要する生活を余儀なくされ、社会参加の機会を奪われるなど、その精神的苦痛は極めて甚大であり、後遺症慰謝料として二五〇〇万円が相当である。

よって、原告一郎の慰謝料は、計三二〇〇万円となる。

(7) 弁護士費用 一八〇九万円

日弁連の報酬基準による。

(8) 右(1)ないし(7)の損害額の合計は、二億六〇九〇万〇八二〇円となるところ、原告一郎は、弁護士費用を除く(1)ないし(6)の合計二億四二八一万〇八二〇円の内金八〇〇〇万円を請求する。

(二) 原告太郎の損害

(1)車両購入費 四二二万三〇〇〇円

原告太郎は、原告一郎の前記障害により、原告一郎の通院、通学等、外出に必要な車両の購入を余儀なくされ、その購入費として右金額を支出した。

(2) 慰謝料 七五〇万円

原告太郎は、原告一郎が回復の見込みのない重大な障害を負ったことから、原告一郎が死亡した場合に比肩すべき精神的苦痛を被った。その慰謝料として右金額が相当である。

(3) 弁護士費用 一八四万円

前同様である。

(4) 右(1)ないし(3)の損害額の合計は一三五六万三〇〇〇円となるところ、原告太郎は、弁護士費用を除く(1)、(2)の合計一一七二万三〇〇〇円の内金五〇〇万円を請求する。

(三) 原告花子の損害

(1) 慰謝料 七五〇万円

原告花子は、原告一郎の前記のような障害により原告太郎同様の精神的苦痛を受けており、その慰謝料として右金額が相当である。

(2) 弁護士費用 一三四万円

前同様である。

(3) 右(1)、(2)の損害額の合計は八八四万円となるところ、原告花子は、弁護士費用を除く(1)の七五〇万円の内金五〇〇万円を請求する。

(被告の主張)

1 被告の国家賠償法による責任(戊田教諭及び荏田高校校長の安全配慮義務違反ないし過失)について

(一) 指導計画の作成について

原告らは、戊田教諭には、適切な指導計画を立てるべき義務があるところ、戊田教諭は、日常の練習計画の決定を専ら生徒の自主性に委ねており、右義務を怠ったと主張する。しかしながら、右は事実と相異するうえ、高校生は、肉体的、精神的に成熟しており、成人に近い判断能力を有しているから、高等学校の部活動においては生徒の自主性が尊重されるべきであり、顧問教諭は、生徒の自主的な活動を側面から補助すべき立場にあるにすぎない。したがって、戊田教諭に右のような義務違反があるということはできない。

(二) 本件技の技術面、安全面の指導について

原告は、戊田教諭が原告一郎に対し、本件技の習熟度に応じた適切な練習方法を指導せず、安全面の指導も怠っていた旨主張する。しかしながら、原告一郎は、中学時代から体操の経験を有し、数々の大会で優秀な成績を収めており、その難度において本件技と同程度とされる塚原とびの練習も行っていた。

また、原告一郎は、昭和六二年八月の筑波大学の夏合宿において自ら希望して本件技に取り組み、演技として未熟な点はあるものの、練習を重ねるにつれ、習熟度が高まっていた。そして、右合宿後は、同年一〇月の横浜地区学年別体操競技選手権大会に向けて本件技の練習に力を注ぎ、右大会において、跳馬で本件技を行い、一年生の部で五位となり、個人総合でも六位の成績を収めた。原告一郎は、同年一一月の県新人戦においても本件技を行う予定で練習を続けていたが、たまたま当日の調子が悪かったことからこれを取り止めた。

このように、原告一郎は、原告らの主張するような段階的練習を要しない程度にまで、本件技に習熟していたというべきである。もっとも、原告一郎の演技には、跳馬に対し鋭角に着手できていないなど、技術的な課題が残っていたことは否定し得ないが、それは、演技の巧拙の問題であり、このことが、本件事故の原因であるということはできない。

また、戊田教諭は、本件技の練習に入る前に、マットを利用した腕の突き放し及び足の回転の確認、体を抱え込んだ体勢での前方宙返り、飛込み前転、跳馬を利用した前転とびなどの練習を行うよう指導しており、また、夏合宿後、原告一郎が本件技を練習する際には、身振り手振りで形を示すなどしながら、助走により速度をつけること、踏切板をしっかり踏み切ること、思い切り足を振り上げ足先を先行させること、着手後、手を鋭く、高く突き放ち、同時に体を抱え込むこと、二回転した後、体を開き着地の体勢をとることなど、一連の動作につき逐一、指導を行っていた。

原告らは、原告一郎の筋力不足が本件事故の原因であるとも主張するが、戊田教諭は、日ごろ、原告一郎に腹筋、背筋、腕力を鍛えるための筋力トレーニング及び調整力を補うための補強トレーニングを行わせており、原告一郎は、入学当時はできなかった吊り輪の「脚前挙」ができるようになる程、筋力が向上していた。また、原告一郎の体重が五〇キログラム程度であることからすれば、原告一郎は、少なくとも、これを跳馬上で支え、突き放すに足るだけの筋力を身につけていたというべきである。したがって、本件事故は原告一郎の筋力不足に起因するものではない。

また、戊田教諭は、原告一郎に対し、演技の途中で気を抜かないことなど、体操競技を行う際の一般的注意を与えるほか、本件技が危険を伴うものであることを指摘し、演技の途中で回転のタイミングが合わなかったり、回転の速度が不十分であると感じたときは、体を抱え込む体勢をとっていれば、着地の際、腰や背中から落ちるので、大けがをすることはない旨の指導をしていた。

原告らは、本件事故の際、原告一郎が、戊田教諭の「背中から落ちるようにしろ。」との指示に従って回転の途中で体を開いたことが本件事故の原因であるとし、戊田教諭が右のような誤った指示をしたことに過失がある旨主張する。しかしながら、戊田教諭は、前記のように、回転に失敗した場合の措置として、そのまま体を抱え込んでいれば、悪くても背中から落ちる旨指導していたのであり、背中から落ちること自体を練習の目的とするかのような指示を与えるはずがない。原告一郎は、回転の際、体を抱え込んでいれば、本件事故を防止し得たにもかかわらず、背中から落ちようとして意識的に体を開いたために本件事故に至ったものであり、戊田教諭に過失があったということはできない。

以上のことから、戊田教諭が技術面、安全面の適切な指導を怠っていたということはできず、原告らの主張は理由がない。

(三) 立会い義務について

高等学校の部活動において、顧問教諭は、生徒の自主性を尊重しつつ、これを側面から補助すべき立場にあるにとどまり、部員の練習に常時立ち会い、これを監督すべき義務はない。そして、戊田教諭は、支障がない限り、部員の練習に立ち会っており、自ら立ち会えないときには、マネージャーを通じて安全面その他の必要な指示を行っていた。また、本件事故直前に、原告一郎は二回、本件技の練習を行い、これを無難にこなしていたので、戊田教諭は、あと二、三回練習しておくように指示し、原告一郎の傍らを離れたのであり、同教諭に過失があったということはできない。

(四) 物的・人的設備について

原告らは、戊田教諭は、原告一郎が本件技を一人で練習する場合には、落下の危険を防止するため、ピットのような練習用具を備えるか、補助者を配置すべき義務がある旨主張する。しかしながら、本件事故当時、神奈川県内にピットを設置していた高校はなく、全国でも約一〇校にすぎなかったこと、練習の際ピットに頼るとかえって演技の上達を妨げるといわれていることなどからすれば、戊田教諭がピットを設置しなかったことに過失があるということはできない。また、体操競技のように最終的に一人で演技を行う必要のある種目については、補助者を付した練習は必要最小限にとどめるべきところ、原告一郎は、前記のように、新人戦で本件技を行い、上位に入賞する程、本件技に習熟していたのであるから、すでに補助者を要しない段階にあったというべきである。したがって、原告らの主張は理由がない。

2 被告の債務不履行責任について

原告らは、原告らと被告との間の在学契約に付随する安全保護義務違反を被告の責任の根拠であると主張するが、公立高校における在学関係は公法上の法律関係であるから、在学契約という観念を容れる余地はなく、原告らの主張は失当である。

3 損益相殺について

原告一郎は、平成元年五月三〇日、日本体育・学校健康センターから本件事故の災害共済給付金として一八九〇万円の給付を受けた。

ところで、学校の設置者は、同センターとの間で災害共済給付契約を締結する際、学校管理下の災害につき学校の設置者の損害賠償責任が発生した場合、同センターのした災害救済給付額の限度で責任を免れる旨の特約を付すことができる(日本体育・学校健康センター法二一条三項)。そして、神奈川県立の高校が同センターとの間で締結している災害共済給付契約においても、右免責の特約が付されているから、原告一郎が給付を受けた前記金額を原告一郎の損害と損益相殺すべきである。

第三  争点に対する判断

前記争いのない事実に《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

一  当事者等

原告一郎は、昭和五九年に相模原市立上溝中学校に入学と同時にクラブ活動として体操競技を始め、三年生の二学期に転校するまで部活動を続けた。その間、原告一郎は、昭和六〇年一一月三日、第一九回相模原市中学校秋季大会で個人総合六位、昭和六一年五月一八日、第三回県北ブロック体操競技大会で個人総合四位、同年七月二〇日、第二八回相模原市中学校総合体育大会で個人総合二位、同月二一日、第三回県北ブロック中学校総合体育大会兼神奈川県中学校体操競技大会予選会で個人総合五位に入賞した。なお、中学の体操の種目は、床、鉄棒、とび箱、あん馬で、本件事故の原因となった跳馬はない。原告一郎は、昭和六二年四月、荏田高校に入学し、同時に体操部に入部した。

二  荏田高校体操部の活動状況

本件事故当時、荏田高校体操部は、男女の部員で構成され、男子は一年生が原告一郎を含む四名、二年生が一名、三年生が三名の八名で、女子は約一五名であった。女子は、インターハイに常時出場する程のレベルであったが、男子は、初心者も多く、一年生のうち、中学校で体操の経験があったのは、原告一郎を含む二名だけであった。

体操部の顧問は戊田教諭一名のみで、同教諭が男子部及び女子部の顧問を兼ねており、ほかに名目のみの副顧問の教諭が一名いたが、部員の指導は専ら戊田教諭が担当していた。

体操部の練習は、土曜、日曜を含めて週六日程行われ、部員は、体育館が使用できない日は外で自主トレーニングを行い、それ以外の日は、体育館で練習を行っていた。なお、平日の練習時間は、午後四時ころから七時ころまでであった。

練習計画については、戊田教諭が、新入生とそれ以外の部員に分けて、それぞれ年間の基礎的な練習内容を簡単に記載した年間指導計画を作成していたが、日常の練習内容等は、三年生が主体となって決めていた。

戊田教諭は、自ら部員の練習に立ち会い、指導することもあったが、練習に立ち会っていないことの方が多く、日常の練習は、各部員が上級生の指示に従うなどしながら、自主的に行っていた。なお、跳馬の練習は、週に一、二回で、練習時間は三〇分程度であった。

戊田教諭は、部員に対し、演技の途中で気を抜かないことなどの一般的な安全指導をしていたほか、体操競技全般に関するものとして、回転する際、体を抱え込んでおけば、悪くても腰や背中から落ちるので、怪我を防げる旨の指導をしていた。

三  本件事故に至る経緯

1 原告一郎は、昭和六二年八月一七日から同月二一日までの間、筑波大学で行われた夏合宿に参加した。

原告一郎は、以前から前転とび前方抱込み宙返り(本件技)を試してみたいと考えており、同大学に、ピットという、荏田高校にはない危険防止の設備があったことから、右合宿二日目の跳馬の練習の際、本件技を二回試みた。

本件技は、跳馬手前で跳躍し、跳馬に着手した両手を突き放すとともに両足を振り上げ、体を抱え込んで一回転半してから着地するというもので、その演技の過程は、概ね別紙(1)のとおりである。本件技は、昭和六二年全国高等学校総合体育大会兼全国高等学校体操競技選手権大会実施要領の競技規則においてC難度とされる(AからDまでの難度に分かれるところ、本件技は昭和六一年にB難度からC難度に格上げされた。)比較的高度なもので、中学校では禁止技とされており、回転を誤った場合、頭部から落下する危険を伴うものである。

本件技を行うには、早いスピードで強く踏み切り、跳馬に鋭角になるように着手した手を強く突き放すとともに、両足を振り上げ、反らせた体の反動を利用して、上方へ高く跳躍することが重要となる。

原告一郎は、前記合宿の際、本件技の全過程を試みたが、着手が鋭角でなく、両足の振り上げが不十分で、また、助走による前方への勢いを両手で支えきれないため、肩が前に流れ、十分な跳躍の高さが得られないまま、回転に入っている状態であった。しかし、原告一郎は、回転の感覚に優れていたため、このような状態でも何とか回転をこなしていたが、背中や腰から落ちるなど着地が不十分で、回転を誤れば、頭部から落下する危険があった。

なお、右練習の際、戊田教諭は、原告一郎に対し、本件技の技術面の指導をしたり、その危険性を指摘したりはしなかった。

2 原告一郎は、前記合宿が終わり、二学期が始まった同年九月ころ、戊田教諭に本件技を練習したい旨申し出たところ、戊田教諭は、原告一郎に、体操競技と題する本(体操の技が分割写真で掲載された本)の写真を示しながら、本件技を行うときには、踏切後の足の振り上げがポイントであり、それを重視するように指導した。しかし、戊田教諭は、それ以外の本件技の注意点を格別指導することはなく、また、本件技の危険性を指摘したり、これを行うに当たり、危険防止のため配慮すべき点を具体的に指導したりすることもなかった。

その後、原告一郎は教本を読んだり、三年生の意見を聞き、練習に立ち会ってもらうなどして、週一、二回の跳馬の練習の際、自分なりに、両足の振り上げや、跳馬の突き放しを意識して本件技を練習していたが、なかなか上達せず、着地の際に腰や背中から落ちたり、前のめりになったりすることが多く、足から着地できることは少なかった。

それでも、原告一郎は、当時、本件技の練習に最も力を入れていたことから、同年一〇月四日に行われた横浜地区高校学年別体操競技選手権大会(いわゆる新人戦)の跳馬種目において、本件技を行い、しゃがみ込んだ姿勢ながら一応足から着地し、右種目で五位(個人総合では六位)に入賞した(なお、右新人戦に参加した一年生のうち、本件技を行ったのは一、二割程度であった。)。

なお、原告一郎は、右新人戦前日の練習で、宙返りが回り切らず、背中から落ちるようなことが続いたため、戊田教諭にその旨相談したが、戊田教諭から特に助言はなかった。

原告一郎は、本件技をもっと上達させたいという意欲はあったものの、宙返りが回り切らなかったらどうしようという不安が強く、そのため、前記新人戦後は、その練習を行っていなかった。そして、同年一一月三日に行われた県新人戦の際には、本件技よりも難度の低い「回転ひねり」という技で跳馬種目に臨み、総合成績は、七六人中四一位にとどまった。

なお、原告一郎が本件技を練習する際に、戊田教諭がこれに立ち会うことはほとんどなく、また、その際、原告一郎の演技の欠点を指摘したり、危険防止のために配慮すべき点などについて具体的に指導したこともなかった。

四  本件事故の発生

同年一一月一五日の日曜日、戊田教諭の立会いのもと、荏田高校体育館で体操部の練習が行われ、男子は、原告一郎、乙山松夫ら荏田高校一年生部員四名のほか、学外練習生である川和高校三年生の丙川竹夫がこれに参加した。

原告一郎らは、戊田教諭の指導のもと、午前八時一〇分ころから準備運動を開始し、午前八時四〇分ころから、全員で前転、倒立、エバーマットを使用した飛込み前転や宙返りなど、一連のマット運動を行った後、午前一〇時一〇分ころ、跳馬の練習に移った。跳馬の練習は、跳馬の手前に踏切板を設置し、前方にマットを敷き、その上にエバーマットを重ねて敷き、跳馬前方にもエバーマットを立て掛けた状態で行われ、原告一郎らは、各自、跳馬を用いて前転とびを二回位行い、次に跳馬を外して前方宙返りを八回位行い、その後、再度跳馬を用いて、前転とびを五、六回練習した。

なお、戊田教諭が原告一郎に対し、練習方法を細かく指示し、跳馬の練習の前にマット運動を行わせる等したのは、このときが初めてであった。

その後、午前一〇時四〇分ころから各部員の個別練習に入り、戊田教諭は、原告一郎に対し、「今日は転回前宙(本件技の意味)をやるぞ。」といった。原告一郎は、一〇月の新人戦以来、本件技の練習をしていなかったが、右指示に従い、戊田教諭の見ている前で、本件技を二、三回練習した。しかし、原告一郎は、一応の回転はするものの、以前と同様、両足の振り上げや跳馬の突き放しが不十分で、着地の際、腰から背中にかけて落ちたり、前のめりになったりする状態であった。

このとき、女子部員が、戊田教諭に、段違い平行棒の演技の補助をして欲しいと申し出たため、戊田教諭は、原告一郎に対し、「本件技を練習するときは、宙返りを無理に回そうとせず、背中から落ちる程度の回転でよいから、回数をこなすようにすること。」という趣旨の指示を与え、原告一郎の傍らを離れた。原告一郎は、右指示を、背中から落ちるようなとび方を繰り返すうちに回転に馴れ、不安感がなくなるという趣旨のものと理解し、背中から落ちるためには、回転の途中で体を開き、回転を失速させる必要があると考えた。そこで、原告一郎は、戊田教諭がその傍らを離れた直後、本件技を試み、回転の途中で意識的に体を開いたため、概ね別紙(2)のとおり後頭部から跳馬前方のエバーマットに落下し、本件事故に至った。

以上のとおり認められる。

なお、被告は、戊田教諭は、本件技は回転を途中で止めることが最も危険であり、原告一郎に対し、日ごろから、回転の途中で体を抱え込んだ姿勢を保つように指導しており、原告一郎の傍らを離れるに当たっては、「あと二、三回いまの調子でとんでおくように。」と言っただけで、前記のような指示はするはずがないし、していない旨主張し、証人戊田教諭もこれに沿う証言をする。そして、日ごろの練習における戊田教諭の立会いや指導の程度、内容、本件事故の直前における戊田教諭の指示の内容等について、原告本人の供述と証人戊田梅夫の証言には、相当の食い違いが認められる。しかしながら、前記認定のように、戊田教諭は、練習に立ち会わなかったことの方が多く、本件技について、本件事故当日まで、原告一郎を具体的に指導したことは、ほとんどなかったこと、本件事故を目撃した体操部員の証人乙山松夫は、本件事故直前の原告一郎の演技は、危ないという感じではなかったが、本件事故の際は、回転の途中で自分から技を止めたような感じであったと述べており、乙五号証の二の一、二にも同趣旨と解される記載があることなどに照らせば、回転の途中で意識的に体を開いたとの原告一郎の供述は信用し得るというべきであり、このように、原告一郎がそれまでとは異なるとび方をしたのは、前記認定のとおり、戊田教諭が、本件事故直前に、原告一郎に対し、背中から落ちることを特に意識するような指示を与えたことによるものと認めるのが相当である。証人戊田梅夫の前記証言は、右に照らし、にわかに採用することができない。

五  戊田教諭の過失

以上を前提に、戊田教諭の過失の有無につき判断する。

高等学校の課外のクラブ活動においては、それが本来、生徒の自主的な参加を予定したものであり、また、高校生は心身の発達が相当程度進んでいることから、生徒の自主性が尊重されるべきことはいうまでもない。しかしながら、本件のように体操競技の実技練習を行うクラブ活動においては、生徒の試みる技が高度なものであるほど、重大事故につながる危険性を伴うものであるから、指導を担当する教諭は、生徒がこのような技を試みる場合、生徒の体操競技に関する一般的な技量だけではなく、生徒の当該技についての習熟度を考慮し、これに伴う危険性を生徒に周知徹底させるなど、事故防止のための適切な指導、監督をすべき義務を負うものというべきである。

ところで、原告一郎は、前記認定のとおり、確かに中学時代から体操競技の経験があり、高校一年生としては、比較的優れた技量を有していたといえるが、C難度とされ、相当の危険を伴う本件技を練習し始めてからいまだ二か月余りしかたっておらず、しかも、約一か月その練習をしていなかったこともあり、本件事故当時、着手した後の両足の振り上げや跳馬の突き放しが不十分な状態で回転に入ったりしたことにより、着地の失敗を繰り返すなど、これに十分習熟しているとはいえない状態にあった。したがって、戊田教諭は、体操部の顧問として、日ごろ、もう少し、原告一郎の練習に立ち会い、原告一郎が右のような習熟度にあることを把握しておくことはもとより、原告一郎に対し、本件技について、跳馬に着手後の跳躍等が不十分であり、そのため回転を誤れば、頭部から落下する危険があることを指摘し、事故防止のため、回転を途中で止めたり、体を抱え込む姿勢を崩したりしないよう指導する義務があったというべきである。そして、前記認定の経過に照らすと、このような安全指導は、日ごろの体操競技全般に関する指導の中で一般的にこれを行うだけで足りるとはいえず、原告一郎が本件技の練習を行う際などに個別的、具体的に行う必要があったというべきである。

しかるに、戊田教諭は、原告一郎が本件技の練習を始めた当初、技術面の簡単な指導を行ったのみで、以後、原告一郎が本件技の練習を行う際に、これに立ち会うことはほとんどなく、原告一郎が本件技に相当程度習熟しているものと軽信し、原告一郎に対し、跳馬に着手後の跳躍等が不十分であることやそれに伴う危険性について具体的に指摘したりせず、また、特に本件技に関し、事故防止のため、回転を途中で止めたり、体を抱え込んだ姿勢を崩したりしないよう個別的、具体的に指導したこともなかった。その結果、原告一郎は、本件事故直前の前記認定のような戊田教諭の指示を誤解し、背中から落ちることを意識するあまり、回転を途中で止め、本件事故に至ったものというべきである。戊田教諭としては、もとより、回転を途中で止めるようなとび方を指示する意図はなく、回転が不十分な結果、背中から落ちることがあっても、練習の回数を重ねるよう指示する意図であったと考えられるが、その指示の仕方は、前記認定のような習熟度にある原告一郎に対するものとしては、不適切であったというべきである。

以上によれば、戊田教諭には、原告一郎に対する適切な安全指導を怠った過失があるものといわざるを得ない。

六  被告の責任

以上のとおり、戊田教諭には、本件事故発生につき過失があり、戊田教諭は被告の公務員であるから、被告は国家賠償法一条一項に基づき、本件事故により原告らが被った損害の賠償をすべき責任があるというべきである。

七  原告らの損害

1 原告一郎の損害

《証拠略》によれば、原告一郎は、本件事故により、以下の損害を被ったことが認められる。

(一) 逸失利益

原告一郎は、本件事故により頚髄損傷による完全四肢麻痺、直腸膀胱障害の後遺症を残し、ベッドで寝返りすることもできず、車いすの生活となり、将来にわたり労働能力の一〇〇パーセントを喪失した。

原告一郎の逸失利益を算定するに当たり、その基礎となる賃金センサスは、本件事故発生時である昭和六二年のそれによることとし、中間利息は、ライプニッツ方式により控除することとする。

昭和六二年賃金センサス(産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者・全年齢平均)によれば、原告一郎の逸失利益算定の基礎となる年収は、四四二万五八〇〇円となる。原告一郎は、本件事故当時一六歳であり、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であったから、中間利息もライプニッツ方式により控除する(ライプニッツ係数は、一八・三三八九から一・八五九四を差し引くと、一六・四七九五となる。)と、その逸失利益は、七二九三万四九七一円となる。

(計算式)

四四二万五八〇〇×一六・四七九五

(二) 付添看護費用

原告一郎の前記障害により、同人は、生涯にわたり家族らによる終日の付添看護を要し、その看護には多大な労力を要する。したがって、付添看護費用として、原告一郎が平均余命に達するまで、一日につき五〇〇〇円を認めるのが相当である。そして、平成六年簡易生命表によれば、二五歳男子の平均余命は、五二・五五であるから、原告一郎は、本件事故発生時から六一年間生存すると推定される。この間の付添看護費用から中間利息をライプニッツ方式により控除する(係数は一八・九八〇二)と、原告一郎の付添看護費用は、三四六三万八八六五円となる。

(計算式)

五〇〇〇×三六五×一八・九八〇二

(三) 療養雑費

原告一郎は、前記障害により、生涯にわたり、排せつのための紙おむつ等、日常生活のための消耗品、雑貨品を要する。右損害として、原告一郎が平均余命に達するまで、一日につき一〇〇〇円を認めるのが相当である。そして、原告一郎の平均余命を前記のとおり六一年として、この間の療養雑費から中間利息をライプニッツ方式により控除する(係数は一八・九八〇二)と、原告一郎の療養雑費は、六九二万七七七三円となる。

(計算式)

一〇〇〇×三六五×一八・九八〇二

(四) 治療費

原告一郎の負担した治療費は、原告ら主張の一一八万三三五六円を下らないことが認められる。

(五)療養のための器具等購入費

原告一郎は、退院後の療養生活に要する車いす、電動ベッド等の購入費として、八八万九〇八五円を下らない支出をしており、右全額が、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

(六) 慰謝料

原告一郎が一六歳で本件事故に遭遇し、原告ら主張のとおり長期にわたり入通院を要する傷害を受け、しかも、生涯にわたり、完全看護を要する後遺症を残したことからすれば、原告一郎がこれらにより受けた精神的苦痛は極めて甚大であり、その慰謝料は両者を一括して二五〇〇万円とするのが相当である。

右(一)ないし(六)の損害額(なお、原告らは、弁護士費用の請求はしていない。以下同じ。)の合計は、一億四一五七万四〇五〇円となる。

2 原告太郎の損害

(一) 車両購入費

《証拠略》によれば、原告太郎は、原告一郎が退院後、登校の際の送迎等に使用するため、ワゴン車、普通乗用車を各一台ずつ購入し(初め買ったワゴン車を、病院のケースワーカーの指導で乗用車に買い換えた。)、購入費として、計四二二万三〇〇〇円を支出したことが認められる。原告一郎の障害の程度等に鑑みると、右のうち二〇〇万円を本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(二) 慰謝料

原告太郎は、原告一郎が前記障害を負ったことにより、原告一郎が死亡した場合にも比肩すべき多大な精神的苦痛を被ったものと認められ、本件事案の性質等諸般の事情を併せ考慮すれば、その慰謝料は三〇〇万円が相当である。

右(一)、(二)の損害の合計額は、五〇〇万円となる。

3 原告花子の損害

原告花子は、原告一郎が前記障害を負ったことにより、原告太郎と同等の精神的苦痛を被ったものと認められるから、その慰謝料は、三〇〇万円が相当である。

八  過失相殺

前記認定のとおり、原告一郎は、本件事故当時一六歳の高校生であり、中学生時代から体操部に所属し、跳馬を除く各種目で入賞歴を有するなど、体操競技につき相当の技量と経験を有していた。そして、本件技についても、筑波大学での合宿の際、初めてこれを試みてから、教本を読んだり、上級生の意見を聞くなどして自分なりに練習を重ね、一応は、本件技の全過程をこなせる状態にあった。したがって、原告一郎は、本件技が、回転を誤った場合に頭部から落下して重大事故につながる危険を伴うものであることを十分認識し得たというべきであり、また、戊田教諭から、体操競技全般に関する注意事項として、危険防止のため、回転を途中で止めず、体を抱え込んだ状態を保つよう指導を受けていたのであるから、本件技の練習を行う際には、自主的に右のような安全措置を講じ、事故の発生を防止すべきであった。また、原告一郎は、本件事故直前に、戊田教諭から、無理に回転しようとせず、背中から落ちる程度の回転でよい旨の指導を受けた際も、これが、回転を途中で止めたり、体を抱え込む姿勢を崩したりしないことを当然の前提とするものであることを認識し得たというべきである。しかるに、原告一郎は、背中から落ちることを意識するあまり、右指導が、回転の途中で体を開き、勢いを失速させる趣旨のものと誤解した結果、本件事故に至ったものである。

以上のことからすれば、本件事故の発生につき、原告一郎にも過失があるといわざるを得ず、このことと、前記認定の戊田教諭の過失の内容、程度及びその他本件に表れた一切の諸事情を考慮すれば、前記原告らの損害額から四割を過失相殺として控除するのが相当である。

そうすると、原告一郎の損害は、八四九四万四四三〇円、原告太郎の損害は三〇〇万円、同花子の損害は一八〇万円となる。

九  損益相殺

《証拠略》によれば、原告一郎は、平成元年五月三〇日、日本体育・学校健康センターから一八九〇万円の災害共済給付の支払いを受けたこと、被告は、同センターとの間で、学校の管理下における児童の災害について被告の損害賠償責任が発生した場合、同センターが災害共済給付を行うことによりその給付額の限度でその責任を免れる旨の免責特約を締結していることが認められる。したがって、被告は、前記給付額の限度でその責任を免れるから、右価額を原告一郎の損害額から控除すべきである。

右損益相殺により、原告一郎の損害は、六六〇四万四四三〇円となる。

十  結論

以上によれば、原告らの請求は、被告に対し、原告一郎が六六〇四万四四三〇円、原告太郎が三〇〇万円、原告花子が一八〇万円及び右各金員に対する本件事故発生の日である昭和六二年一一月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条本文、九三条一項、八九条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用し、仮執行免脱宣言は付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅野正樹 裁判官 近藤寿邦 裁判官 近藤裕之)

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